15.戦国武将の生き方に学ぶ科

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高 大 祭

12月15日(木) 「 第8回 高 大 祭」 

会場 : 吹田文化会館(吹田メイシアター)


1・2班 
1班 織田信長(苛烈な生涯)            2班 明智光秀(天下人への勝算と誤算)

3・4班 
3班 戦国を生きた女たち                         4班 戦国武将の食と健康

5・6班 
5班 信長の野望(石山合戦)                       6班 大坂の陣と真田信繁

班毎でテーマに取り組み、素晴らしい作品ばかりでした。また、大ホール、中ホール、
小ホールでは、ファッションショー、社交ダンス、
コーラス、落語、太極拳、詩吟、手品等
の発表がありました。
プロの先生のオペラ、社交ダンスもあり、大盛況の高大祭でした。


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長宗我部元親から学ぶ

12月8日授業 テーマ:「四国全土制覇」 長宗我部 元親

講師:村上 晃美 (元大阪府教育委員会参事)

長宗我部元親① 

 奈良・平安時代の流罪地であった「土佐」の長岡郡を領地としていた長宗我部氏。
国親の遺恨を果たすべき長宗我部元親が奮闘。元親は、初陣の際には「姫若子」と
言われていたが、大奮闘。その後は「鬼若子」「土佐の出来人」と言われるほどにな
った。
元親は土佐を制圧し、四国制覇をなしとげる。

長宗我部元親③ - コピー  長宗我部元親⓶ - コピー

 織田信長からは、「鳥なき島の蝙蝠」と言われた。その後、秀吉の四国征伐では、降伏を
よぎなくされ土佐一国に。
 元親は「一領具足」と言われる半農兵士が中心であったから、
戦いには勝てなかったようである。もっと大きく世の中を見ていたらまた、違った方向に進ん
だかも~~?。

 元親死後、長宗我部氏は没落の道をたどり、「真田丸」では盛親が長宗我部家の復興を
願い戦うが.....。
長宗我部家は没落したが、日本の近代化に果たした土佐の役割が
大きかったことは、元親の力もあったかもしれないと思いました。



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戦国武将と忍者に学ぶ

12月1日授業 テーマ : 「戦国武将と忍者」

講師 : 澤田  平 (堺鉄砲研究会 主宰)


午前中に文化祭の準備をほぼ終えて、午後からはテレビ「開運なんでも鑑定団」の鑑定士で「真田流忍術学院」学長の澤田先生の登場です。忍者の小道具が運びこまれ、実演を交えながらのユーモアたっぷりの講義です。

忍者① 
忍者とは、忍術を使って密偵・謀略・後方撹乱などを行う者。戦国時代、各家に抱えられて活躍した。忍術とは、情報収集術、武術であり科学であるとのこと。戦国武将のほとんどは忍術を使ったので、殆ど忍者とも言える。
・牛若丸(源義経)は、トリカブトを仕込んだ扇の忍術で、流石の弁慶もカブトを脱いだ。
・真田幸村(信繁)は、忍術用具の優れた考案者で忍者。
・徳川家康も忍者・服部半蔵を多用した。

忍者⓶ 

実演を交えながら忍術用具の使用方法を教えてもらいました。笛の吹き矢、仕込み杖、仕込み刀など、相手の意表を突き、一撃で倒す仕掛けが工夫されていた。

先生の指導で男女一人ずつ忍者服に身を包み、手裏剣投げと吹き矢に挑戦しました。手裏剣は中々マトに刺さりませんが吹き矢は見事マトに命中しました。拍手喝采!

忍者③ 

忍術用具発明家・真田幸村について

九度山に幽閉された幸村は豊かな生活で貧しくなかったようだ。真田紐、薬(トリカブト)などの行商で情報収集しながらお金を得、たえず忍術用具を考案してきた。真田紐、吹き矢、仕込み杖、なかでも指一本で相手を倒す事が出来る鉄砲は忍術の最先端用具。馬上宿許筒(しゅくしゃつつ)が先生の真田幸村公資料館に残る(929日ブログ参照)。

幸村は身長150cmの小柄で歯は抜けて男前でない。外見は見栄えしないが女性にもてた。安居神社にその幸村像があるが、澤田先生の監修だそうだ。幸村の実像は頭が良く優れた発明家だった。幸村の生き方は現在にも通用する忍者でもあった。


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