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15.戦国武将の生き方に学ぶ科

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高山右近から学ぶ

10月27日授業 テーマ:「キリシタン大名の素顔は?」 高山右近

講師:中西 裕樹 (高槻市立しろあと歴史館 館長)

高山右近A 

ローマ法王庁から「福者」に認定された高山右近。キリシタン大名で戦国を戦い抜いた戦国武将。とても興味を惹かれます。高槻やマニラなどに銅像があるのに、肖像画が存在しないのは仏教のように法事がないからでしょうか。
高山右近B 
高山右近は、父・高山飛騨守の影響を受け洗礼し、ジュストと名乗ります。

  高山右近C

 
高槻城内でのクーデター・有岡城の戦いを経て、織田信長・秀吉の側近になり大きな力を持つ。右近の勧めで黒田官兵衛らが入信するほどに~~。

 しかし、秀吉の伴天連追放令をうけ、放浪の民に。家康のキリスト教禁止令ではマニラに追放となる右近。大名を捨て、信仰を貫いた右近の生き方は美しく、凛々しいとも言われている。キリシタンは争わないといわれるなかで、戦国武将として戦った右近。
 ジレンマはなかったのだろうか。ちょっと疑問が残りました。



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前田利家から学ぶ

10月20日授業 テーマ:「加賀百万石の礎は?」 前田利家

講師 : 川元 奈々(大阪市立大学都市研究センター 研究員)

6月2日にも講義を受けた大阪市立大学都市文化研究センターの研究員、川元奈々先生。2002年に放映された、前田利家と妻・まつが主役の大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」の時は中学生だったとおっしゃってました。

前回と同様に順調に講義は進み、前田利家がメジャーな戦国武将であることもあって、わかり易い授業でした。


写真 2016-10-20 12 02 41 - コピー

利家は尾張国の土豪(地域の百姓のトップ)の家に生まれ、江戸幕府の加賀藩は119万5000石という先生曰く断トツ!の石高だったのです。ちなみに2位は、尾張藩(名古屋)61万9500石、3位は伊達藩(仙台)61万5000石。確かに断トツです。

利家は幾度も訪れた危機を乗り越えたラッキーパーソン(先生の言葉)でした。

まず驚いたのは、若い頃の利家は短気な性格で、先生曰くやんちゃをしていた。あげく、利家の刀の金笄(きんこうがい)を盗まれたことに激怒して殺害に及ぶ。そのことを激怒した信長に出仕停止処分を受けるが、柴田勝家・森可成(よしなり)の助命嘆願があり、赦免される。また若い頃から親交を深めていた秀吉が天下人になり、秀吉から絶対的信頼を得ていた。家康との確執があったものの、豊臣と徳川の本格的な戦いの前に逝去した。

ほんとにラッキーパーソンです。

その背後には、若い頃は短気であったが、義侠心、気遣い、人としての「バランス力」、そしてマネジメント力が利家には備わっていたのです。

前田利家⓶    前田b

そして、前田家が残した遺訓を紹介して下さいました。

*戦国末期~江戸時代初期に設計された城下町の様相が今も残る金沢
*東京大学本郷キャンパスの赤門(前田家上屋敷の御守殿門)

*世界記憶遺産に登録された東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)
*16代当主前田利為が設立した前田育徳会

これからも後世に残っていく偉業の数々です。


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スポーツ交流大会

10月12日(水)「第6回スポーツ交流大会」

会場:エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)

 大相撲春場所の会場などとして知られる大阪府立体育会館、この立派な会場一杯に
約2,000人の高大生が集まり、開会式の後の準備体操ではフロアー一杯に広がり中々
壮観な眺めです。

開会式 
     開会式選手宣誓                      準備体操

 いよいよ、曜日別対抗ゲームが始まりました。次のゲームで得点を競います。
ラダーゲッター・・・3段梯子にロープをからませると得点で、上段ほど高得点。
フープディスク・・・ディスクがフープを通過したら得点。 どのゲームも運動が苦手でも簡単
にできるが、ぶっつけ本番で得点は難しい。得点できた時は嬉しくて小躍りする。

N競技 
     ラダーゲッターチーム                 フープディスクチーム

 その後、阿波踊りと河内音頭に大勢の人が参加して大きな輪を作って踊りました。

踊り 
   にしき連指導による阿波踊り
              河内音頭の大きな輪

午後の曜日別対抗ゲームは、邪険陣取り合戦と玉入れの競技です。玉入れは、50人の選
抜チームを編成し、得点が1回戦2倍、2回戦が4倍に加算され、勝てば優勝に近づきます。

団体競技 
   ジャンケン陣取り合戦チーム                玉入れチーム

今年は、曜日別で得点を競いましたが、総合順位は連合軍(校友会など)が優勝、水曜日が
2位でした。木曜日は力及ばず6位でした。大会のキャチフレーズ「楽しく、元気なシニア」
のとおり、仲間意識が高められ、元気に動いて楽しい一日でした。

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佐々成政から学ぶ

10月6日授業 テーマ:「秀吉の征伐か、越中の佐々が孤立?」  佐々成政

講師:村上 晃美 (元大阪府教育員会参事)
佐々正成d

【佐々成政】1516‐88 (永正13‐天正16)  尾張比良に生誕。織田信長に仕え黒母衣衆1581年(天正9) 越中富山城主。  

柴田勝家と豊臣秀吉の間で実権争いが起こると、勝家側についた。勝家の失脚後、秀吉に恭順すると見せかけ徳川家康・織田信雄側につき、秀吉側についた前田利家、さらに敵対していた越後の上杉景勝の間で板ばさみになった。秀吉と家康の間に和議が成立すると進退が窮まり、家康に再び秀吉に対して挙兵を促すため、家康に会うため、極寒の飛騨山脈を越えた「さらさら越え」の対面ある。

 佐々正成B   

しかし、そんな成政の決死の覚悟にも家康が動くことはありませんでした、とうとう秀吉に富山城を包囲され降伏した。50歳のときである。以後は御伽衆として秀吉に仕え、 その後、天正15年 肥後(熊本県)一国を与えられましたが、国人一揆の責任を問われて兵庫県尼崎の法園寺で切腹しました。   享年52才





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真田幸村から学ぶ

9月29日授業 テーマ:「真田幸村に学ぶ」

講師 : 澤田 平 (堺鉄砲研究会 主宰)

午前に行われる講義が、珍しく午後となり、いつもと雰囲気が違い小道具も並び芝居でも始
まりそうな雰囲気でスタート
私だけでなく、かなりの人が澤田先生を知らなかった様子で なんでも鑑定団に出演の先生
と聞き一瞬驚きました。

澤田 

大阪冬の陣真田幸村の生き様を、今風に分かりやすく、脱線を何回もしながらも、立て直し
ては本筋にもどして、進行する形はベテラン講師ならではのものでした。


馬上宿許筒 

特に興味を引いたのは、幸村考案の8連発火縄銃で、当時としては画期的な武器で、これ
を使って成功していたら、(家康を倒していたら)現在の日本の姿も相当な変化を遂げて
いただろう想像します。
 また、幸村の九度山で13年間蟄居中、真田紐、薬の開発等 情報収集しながら考案を
した物が沢山あり後々の生活に使用された。
忍術道具として刀・手裏剣・鎖鎌・吹き矢等、現物を見て工夫の一端がうかがえる。

真田幸村a 

質問にもしっかりと答えて頂いた先生の姿勢に感謝すると同時に有意義な時間を過ごす事
ができました。


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