15.戦国武将の生き方に学ぶ科

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今川義元から学ぶ

6月23日授業 テーマ:「もしもの時の危機管理とは? 今川義元」

講師:高木 純一(大阪大学大学院文学研究科 特別研究員)

1988年生まれの若い先生なので、テンポよく授業が進んでいきました。
今川義元のイメージは「公家かぶれの軟弱大名」
お歯黒・マロ眉・白塗り・・・短足で太っていたため馬に乗れなくて輿に乗って戦場へ行った。
桶狭間の戦いで信長の奇襲を受けて敗死した・・・全くいいイメージがありません。



 しかし、近年ではそのイメージが変わりつつあるとのこと。 

①大河ドラマ「風林火山」(2007年)で谷原章介が義元を演じ以降。
②「信長の野望」という歴史シュミレーションゲームで、急速なイケメン化と能力値上昇
(特に知略) ①はともかく②はほとんどの生徒は理解できなかったと思いますが。
 
  今川義元
 
 しかし、今日の授業では義元の人となりを文献を元に、一つずつ証明していって下さい
ました。まず外見に関しては、肖像画が残っていないので実際のところ太っていたかどうかわからない。お歯黒は戦国武将がしていても不思議ではなかったむしろ、家格や地位の高さの証明である。
 桶狭間で酒宴を開いていて信長の奇襲を受けたとされるが、文献により義元は下戸であった。今川家には「今川仮名目録」という戦国大名が制定した最古の分国法があった。土地の権利争い関係 人身法 喧嘩関係 売買・貸借 不入地 他国との関係 流通法 寺社法等制定されている。他にも、私戦・私闘を禁止する「喧嘩両成敗法」という法も。
こういうところが、今日のテーマ「もしもの時の危機管理とは?」の答えになるのでしょうか?

今川義元に対する悪いイメージが払拭された授業でした。


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武田信玄から学ぶ

616日授業 テーマ:「中部日本最強武将・武田信玄」

 講師:清水 秀司(大阪府高齢者大学校  講師)

信玄のルーツを学ぶ

甲斐武田家は清和天皇に始まる清和源氏の血を引く名門の家です。源義光(新羅三郎)を祖とし、2代義清と3代清光が常陸・武田荘から甲斐・市河荘へ移り住んだ。
 4代信義が土着し武田を名乗った。信義は源頼朝とともに挙兵し、後に粛清される。信玄は、19代で戦国最強の武将となった。その信玄の座右には、新羅三郎から脈々と受け継がれてきた「御旗・楯無鎧」があった。当主が「御旗・楯無も御照覧あれ」と家宝の前で誓った事は、絶対に従わねばならなかった。

「人は城、人は石垣」と躑躅(つつじ)ケ崎館

 山梨県出身の清水先生から「武田節」の紹介があり、楽しく拝聴しました。この歌詞の中に信玄の言葉「人は城、人は石垣」があります。戦国時代、多くの名将たちは堅固な難攻不落の城を築くことに心血を注いだ。その中で信玄は「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり」の言葉とおり、甲斐には堅固な城を築きませんでした。
  父信虎、信玄、勝頼の三代にわたって甲府・躑躅ケ崎館を一生の居館としました。これは「武士と農民を掌握してい ば攻められることがなく、堅固な城を築く必要はない」との考えだった。事実、家臣・領民から絶大な信頼を得て、「甲斐の国に敵兵を一兵たりとも入れないぞ」という、信玄の自信の象徴でもあったのだろう。

  武田信玄①  武田信玄②

甲府駅から北へ約2kmの所に躑躅()ケ崎館の跡に武田神社があります。神社を囲むように家臣の屋敷跡の碑が沢山見られ神社前に「人は城・・・」の()が迎えてくれます。

    武田信玄③ 

武田神社境内に宝物殿があり、刀、鎧などが展示されている。撮影禁止だが、暗がりに異様な光を放つ武田信玄の像だけは撮影OKになっていた。 


武田家の滅びの道

 信玄は西上作戦で野田城攻略の途上、53歳で病死した(鉄砲で暗殺説もある)。最強を誇った信玄も寿命には勝てなかった。跡目相続で内部分裂があったが、四男の武田勝頼が20代当主を継いだ。鉄壁を誇った武田騎馬軍団も長篠合戦で大敗し、衰退から滅亡への道を進む。真田昌幸を普請奉行にして韮崎に堅固な新府城を築いたが、重臣の謀反など人の石垣は崩れ、13代武田信満が自害した同じ天目山(山梨県甲州市)へ逃げ、妻子と共に天目山の露と消えた。
 後に徳川家康は勝頼主従の菩提を弔う寺を建立し領民を懐柔した。信玄の子孫は江戸時代も微かに残ったが、信玄が築いた人の遺産(武士、金工夫など)の大部分は家康に引き継がれていった。
 戦国時代は戦に勝ち残る事が大切だが、その為にも人心を掌握して統率する力が一番大切だと学んだ。


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校外学習 (真田丸界隈を巡る)

6月9日午後 校外学習 (真田丸を巡る)

コース  アネックスパル法円坂 ➡ 越中井 ➡ 聖マリア大聖堂 ➡ 玉造稲荷神社 ➡ 白光大神 
                  ➡ 三光神社 ➡ どんどろ大師 (善福寺)➡ 心眼寺 ➡ 真田丸顕彰碑

*法円坂 ➡ このあたりに「法円」という坊さんの住まいがあったのでその人にちなんで
         つけられたという説

*越中井 ➡ 細川越中守忠興の屋敷跡です。越中井はその細川屋敷内の台所にあった
         井戸と伝えられる。石田三成は、忠興の妻ガラシャを人質に取ろうとするが、
         ガラシャは拒否。屋敷に火を放って自害する。

*聖マリヤ大聖堂 ➡ 創設は明治27年(1894)、空襲で焼失。昭和38年(1963)に再建。
                   敷地が細川大名家の屋敷跡であった。

*玉造稲荷神社➡ 紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀奉納
                  の鳥居や千利休の顕彰碑などが並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもある。
                               境内には難波玉造資料館もある。

*三光神社 ➡ 大坂の陣で真田幸村が出城・真田丸を造って徳川軍と交戦しました。
             境内には幸村の
銅像とともに「 真田の抜け穴」があります。
             この山は、宰相山とも真田山とも呼ばれる。

 真田丸①    真田丸②
*どんどろ大師(善福寺)➡ 大坂夏の陣の戦死者を弔うために建てられた。 

*心眼寺(しんがんじ) ➡  元和8年(1622)4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福
                  を祈り建立される。
             

*真田丸(真田出丸)➡ 慶長19年(1614)、大坂冬の陣の前に真田幸村が大坂城玉造口
                    近くに築いた半月形もしくは三日月形の東西に長い砦(出丸・出城)
                                          で偃月城とも呼ばれました。

今年1月に心眼寺向かいの明星学園グランドに真田丸顕彰碑が建立された。 

天候に恵まれて心地良い校外学習でした。



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社会への参加活動 (準備)

6月9日午前 テーマ:「社会への参加活動(準備活動)」

2016年9月15日及び2月16日の社会参加活動「行事」実施に際しディレクターより、高大で
の社会参加活動並びに、地域社会での参加社会参加活動について事例を含めて概念及び
定義について説明をうける。
 
1.「現状分析」社会参加って❔
  社会参加・準備①   社会参加・準備②                                                                      
2.行動と実践
* シニアの力を求めてます・まだまだ社会の歯車にならざるをえない社会に関わりを
   持って 役立つシニヤ、頼りになるシニヤに なりたいと思いませんか❔         
* 身近な社会参加活動・世のため人のためそして自分の為に役立つボランテイア活動
* 社会参加活動のメリット・健康への様々なプラスの効果
* 学習としての社会参加・受講中と終了後の実践 やりたかったことに挑戦
   新たなネットワークつくり 高大で学んだスキル高大の仲間と同窓会
   地域で学ぶスキル 地域できる仲間     
* 社会参加活動への一歩・学習を深めたい 仲間を拡げたい人との繋がりを強めたい。

3.グループ(班)ごとに社会参加活動
 社会参加・準備③  
実際の行事について、まず班ごとに話し合い提案後、クラス全体案を検討。
9月15日はクラス全体として活動する。…工場見学、公共設備見学など。

最終案について1~3班の社会参加委員で検討、次回報告で調整する。


   

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毛利元就から学ぶ

6月2日授業  テーマ:「毛利元就から学ぶ」

講師:川元 奈々(大阪市立大学都市研究センター 研究員)


元就と言えば、「三本の矢」の話が頭に浮かびます。サンフレッチェ広島のエンブレムに、
三本の矢が描かれているのを知りました。 「偏諱」のいう言葉を知り、理解できました。
戦国時代を知るには重要な言葉で、必要な知識です。


毛利元就③   毛利元就④
 
毛利家には、文書が1,593点(重要文化財)あり、戦国大名家文書として最大級!毛利家の
様子や政治状況がよく分り、内容も豊富! 重要文化財以外も含めると10,000点にもなる。


 毛利元就①

妻「妙玖」が存命中は、側室を持たなかったのを始め、家臣への気遣い、家族への細やか
な心配り、節酒の心得等、現代にも通じるものであった。


「毛利元就」の事が、良く分り楽しい講義でした。


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